私と日本の家族

2009年10月14日 (水)

ばあちゃんS と乾杯♪

7年ぶりに また一人 姪っ子が出来ました~ ユッピィ~♪

パパさん、今20時25分現在 まだチェコからの帰宅途中。19時の電話でDresdenだっていってた

子供をベットに入れてから 2人のばあちゃん達と祝杯を挙げているところ。
今日は Aldiの TrinkbarのSektで、ですけどさッ あの安さであの味はOK~

元気で大きく育てよ~
ぜひ大人になって 君の命の可能性を 思う存分試しなさいよ~

自分も自ら 誕生のシーンにいたことがあったけど、何回あっても 命の誕生の感動って
不思議って 心地いいなぁ~  すごいなぁ~

当たり前に生まれてこない命の 当たり前に生まれてこれた奇跡に乾杯~♪

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2009年4月17日 (金)

健康雑誌の手先

実家の母は 短大で栄養士の勉強をしていたので、おそらく私は幼い頃から
たいへん栄養バランスや健康を考えた食事をして育ってきていたんだろうと
最近思うようになりました。

そんな母は 2006年のご自身の癌経験から 以前にもまして 

健康第一、健康は食から~!」←しかし適度に・・・・です。

今回の日本滞在で 母がやっていた新たな健康食事は

」!!

ある健康雑誌に載っていたこのジュース。
7種類の野菜や果物をミキサーにかけて毎朝飲む。

癌は 低体温、35度台の体温で活発に活動し始めるらしく、冷えは大敵なのだそうで
7種類の野菜の中には しょうがも含まれている。
なので 南の果物、バナナは この中には含まれない。←南国の果物は体を冷やします
根菜、冬の野菜は体を温める作用が高いらしく、大根やジャガイモ←生です、これには
ちょっとびっくりしたけど
にんじんも7色のメンバーです。
市販の100%ジュースでも ビタミンはほとんど失われてしまっているのだそうで
ビタミンをしっかり摂りたいのなら 丸のままの野菜や果物から摂るのが
やはりベストだらしい。
母は この野菜 果物たちに豆乳を加えて飲んでいました。
植物繊維もバッチリ摂れて 腸もさぞかし綺麗になるだらう~

いつぞやの誕生日に「マジックブレッド」をプレゼントしてもらって ミキサー事情は
大変充実している我が家ですので
ドイツに帰ってきてから 早速毎朝飲んでます。
ただいま帰国ボケ 甚だしく 豆乳を買いに行く気力がまだないので
(子供たちが今週一杯イースター休暇で 家にいて そちらで精一杯)
来週 豆乳を買いに行ったら完璧です。

ヤクルト、ドイツでも売られてます。
その中でもレディーさんからしか買うことができない

ヤクルト400」というのがいいらしい。

姪っ子の幼稚園にレディさんの子供がいるらしいのですが、周りがインフルエンザで
ダウンしていく中、レディさんのところの子供だけが かからなかったとか・・・・・
実例が存在するとなると 信じざるを得ない?
免疫力高いことは とにかくいいことなので うちも 早速 ヤクルトではないけど
L-Kaseiが含まれた乳酸菌飲料を毎日飲んでます。

ヨーグルトは朝より夜 寝る前に摂るのが いいんですって。
寝ている間に 乳酸菌が腸に効くらしい~
乳酸菌は 動物性より 植物性のほうが 体にはいいとか。
なので うちの糠漬け、植物性乳酸菌の宝庫なので 体には最高なんだそうだよ。
もちろん、帰ってきてから 復活して 毎日いただいています。
~日本の間は 主人が毎朝 かき回してくれてました~

わが主人~

こんなに「いい」という情報に染まりやすい妻とは対照的に 「わが道を行く」涼しいタイプ。

朝、野菜ジュースをせっせと作って差し出すと

「コレは何ですか?」

私「体にいい野菜ジュースです」

飲め!といわんばかりに 顔の前に突き出す。

主人「飲むんですか?」

私「はいそうです」

主人、飲む。

主人「ぼちぼちおいしいですね、何が入っているんですか?」

私、入っているものを説明する・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・

おや?次の手が伸びてこないぞ????

私から 次の一口を突き出す。

主人「まだ飲むんです・・・・・ね?←弱弱しい語尾~」

私「私、今までも気をつけていたけど 今回日本に行って もっと野菜中心にした
手作りの食事を努力したほうがいい、って思ったんだよね。
「いい食事」をしていれば 病気にならないってわけじゃないけど
わざと「悪いでしょう」といわれている食生活を 率先してする必要は
ないわけじゃん?
水も浄水器はたいへんだから ろ過するものを(Brittaのこと)を買おうと思うの」

熱く語る妻を尻目に

主人「僕は 君のやり方に従いますよ。健康にいいといって 毎回の食卓に
納豆』が並ばない限り 僕はすべて許します←もちろん ニコニコ顔にて」

情熱と体温は反比例なのか?!
←彼は高体温です、ちなみに血圧も高い~、私は低血圧さっ

そして いつまで続く、我が家の(私の)健康志向?!

 

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2009年4月14日 (火)

ご無沙汰しておりました。

3月21日、祖母の体調の悪化の連絡を受け、22日急遽日本へ飛びました。

母が祖母の主治医と話をしてくれたところ
「そういうことでしたら(ドイツから戻ってこようということでしたら)
まだ元気だけど、 話ができるうちに戻ってきていただいたほうがいいかもしれませんね」

10年ぶりの日本の春の日差し。
着いた頃はちょうど桜もチラホラし始めてていました。

見舞った祖母は酸素マスクをつけていて呼吸は苦しそうなものの 見た目は

「本当に病気?」

と思うほど顔色もよく元気そう。

一応4月4日にドイツに戻ることにしていた私は、とにかく 納得して帰るために
主治医と直接話をすることにしました。

病気が発覚した当初からの体内のレントゲンやほかの機材による写真をみさられての説明。

あの元気な祖母の体の内側は こんなになってしまっているのか?
腹水、胸水もすでに溜まっていて、呼吸が苦しいのは 肺全体がすでに癌に犯され
硬化してしまっているため。

「入院当初からすでにモルヒネ・・・ではないけれど 同じ作用をする薬を投与しているので
だんだん ぼーっとしている時間が長くなる、なので できるだけ早く会ったほうがいいと
判断しました」
と主治医。

そして
「お帰りになられる4月4日頃が 山だと思われます」

3月31日までぼーっとしている時間は増えてはいたものの、笑いながら3人のひ孫と一緒に笑っていたおばあちゃんの体調は 次の日 4月1日に急激に悪化。
4月3日深夜、永眠しました。

甘いものが大好きだったおばあちゃんに 桜餅や柏餅を小さく切って食べさせてあげたり、おおよそ 彼女が喜ぶであろう、また 望むであろうと想像できることは
すべてやってあげることができました。

4月12日、ドイツに戻ってきました。

ドイツは一気に春になっていました。
ドイツの景色を見た途端、祖母が亡くなったという実感がわいて来ました。
自宅でピアノを弾いた途端、祖母が永久にこの地上からいなくなってしまったことを
実感しました。
私の人生を支えてくれ 愛でていてくれた祖母は もうどこにもいない・・・・・・

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2009年2月10日 (火)

母の誕生日に・・・・・

2月11日は母の誕生日です、今年で母は63歳になります。
2006年に子宮ガンの宣告を受けた彼女、おかげさまで 今は状態は安定していまして
朝はウォーキングで体力づくり、食生活もポリフェノールいっぱい食べて気をつけているみたいです。

しかし去年の夏、 私たちが日本にいたときに 祖母の胸に癌がみつかりました。
その部分だけ取り除く手術が8月に行われたのですが、12月に再発、1月から抗がん剤や
放射線治療をしようとお医者さんと話をするが早いか、1月の検診では乳房がパンパンになるほど癌が進行してしまっていたおばあちゃん。
片方のお乳を切除しました。
肺にも転移が確認されているとのことですが、いかんせん 高齢なので、ここからは
まさに 彼女の生命力と寿命にまかせるしかない・・・・とのこと・・・・

いつの頃からか、文明の利器、インターネットを利用して 日本の家族のお誕生日にプレゼントをするようになっている私。
今年の母の誕生日には ちょっと奮発いたしましたよ~
お祝いできる嬉しいことって やっぱり積極的に作っていかないと・・・・
そう、ドイツ人のようにね。
今の家族で楽しく食卓を囲めるこの時を思い切り楽しんでください。
私たちは6月末から一月、一緒に楽しい時間をすごさせてもらうために はせ参じます!
4世代、大家族でにぎやかな一ヶ月をすごしましょう。

家族が幸せで 世界が平和~
これが基本ですね・・・・

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2008年10月 7日 (火)

理解不可能

もともと私と日本の家族は 波長が合わないというか 全く住んでいる世界が違うというか・・・そんな関係だったのですが、最近 またもや理解しかねる事が発生しました。
10月1日はばんばんちゃんの誕生日だったので 秋休みで家にいる子供達と
「電話してお祝いをいおうね~!」と話をして電話をしました。
すると 父が電話に出て
「おばあさんはねぇ、今 ちーちゃん(妹)と一緒に別荘(父が新築した家)に服を取りに行っとっておらんに」という。
「じゃあ そっちの5時ごろやったら 帰ってきとると思うで あと20分したら(20分したら5時だった)もう一回かけなおすでね」
と電話を切り、20分たったので電話をかけなおした。
今度は母が出た。一通り世間話をした後
「で、おばあちゃんは戻ってきとる?」
と聞くと 母、
「う~ん、おばあちゃんはねぇ、別荘に行って ずーっと泊まっとるに」
私「え?ず~っとって 昼間も一人でずっと向こうの家におるの?」
母「病院っていう別荘に泊まっとるのよ」

は?

もうこんなことは何度もあるので 別に驚きもしませんでしたけどね・・・・・・・
良いほうに考えれば、父は心配かけないようにわざとうそをついたのかもしれないけど、
すぐにばれるようなうそだったらつかなければいいし、身内にまで隠す必要があるのか?
しかし どうやら彼らはひたすらに隠したがる・・・・・・・

妹が第一子を妊娠しているとき、8ヶ月くらいの検診で胎児に異常が見つかった(そうだ)。
胎児が十分に熟す38週目まで待って入院をして帝王切開にて子供を出産していたのだけれど、
日本の家族は私に一切告げず 当然私はそれを一切知らず、異常が見つかった後も電話をして妹の経過を聞くと
「いいようやよ」とか「順調やら・・・」
と話してくれていて ようやく予定日に近くになって
「調子はどうですか?」と聞くと やっと 「実は・・・・・・」という過去の状態と手術の結果、現在の状態を聞かされた。
そのときは さすがに私は怒った。どうして真実を隠す必要があるの?どうして うそをついていたの?
「あんたに話すとパニックを起こして帰ってきちゃうんじゃないかと思って・・・・」
ああ、この人たちは全く私という人間を理解していないのだなぁ・・・・と思ったさ~

主人は最も私の近くにいる私を理解してくれている人なので 妹の件のことやその他もろもろの行き違いも知っていますから
「きっと何ヶ月も過ぎてから 『実は○○(日本の家族の誰か)が亡くなっていました』なんて
話になりかねませんね」
と私同様 呆れ顔。
身内に起こった事故や病気を隠すということも 日本人的な奥ゆかしさなのだろうか?
全くもって理解に苦しむ~



  

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2008年9月30日 (火)

ばんばんちゃんの誕生日

私のおばあちゃんであり、私の子供達のばんばんちゃんである大おばあちゃんは 今日88歳のお誕生日を迎えた。
めっきり弱くなったおばあちゃん。去年は孫達の悪態をこっぴどくしかりつける元気があったのに、今年はすっかりそれもなし・・・・・
足腰も 毎年がくん がくん と弱くなっていく。
一年に一時しか目にできないので それは歴然と私の目に映る。
夏に帰省しているとき ばんばんちゃんの乳がんが見つかった。手術が8月頭にあった。
医者は ばんばんちゃんの足腰が弱るのを懸念して「できるだけ入院している期間を短くしましょうね」と提案してくれたそうだ。
しかし 入院している間にも ばんばんちゃんのひざに水がたまってしまって、退院後 乳房の傷による通院よりも ひざに水がたまってしまったことによる通院のほうが頻繁に行かれるようになったらしい。
手術後の細胞検査などで どうやらリンパへの転移が確認された。
88という高齢なので、化学療法は一切行わないらしい。
それ以後の定期検診や経過については 私もまだ何も聞いていないのでわからない。

88歳か・・・・・私の今までの人生の倍よりも長い時間のわけだ。
自分も今 体がきついときがあるので ばんばんちゃんの毎日はとっても体が重くて 苦痛なんだろうなぁ
今日、日本から荷物が来て、敬老の日に贈り物をしたことへのお返しに手紙が入っていた。
ばんばんちゃん、字さえもしっかり書けなくなってしまっている。
最後の行に書かれていたことは 来年の夏、私達の来日を楽しみに待っている、とのことでした。
子供2人とまたがんばって日本まで行くから、ばんばんちゃんも元気に楽しく暮らしていておくれ・・・・・
来年も再来年も お誕生日をお祝いしようね。

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2006年8月11日 (金)

ぼちぼちよい知らせ

お昼ごろ母から電話があった・・・・私は昼ごはんの準備をしていて主人が電話に出てくれた。あれ?携帯からかけてくれてるのかな?と思いきや 家からかけているらしい。
電話をかわってもらい 話を聞くと 検査の結果、膀胱の癌はマイナスの数値が出て
がん細胞がないことがわかり 子宮頸がんだけなので子宮をとる手術を受けることに決まり それまで家に帰ってきているのだという。
・・・・・・・・・・・・・私 今まででこんなに安心したこと、ないと思う。
細胞の状態もごく初期らしく 定期健診には通わなければならないけれど まずまず
最悪の状態はまぬがれたらしい。
がんセンターの教授たちも 子宮をとることで患者によい影響をもたらすと全員一致の
意見らしく たいへん喜ばしい報告だった。
手術がうまくいくことを これからは祈ろう・・・・・・

今日も娘は元気に幼稚園へ。
お迎えに行くと今日は 赤ちゃんを連れたお母さんのそばにいて 赤ちゃんを
いいこいいこしたりしている彼女を発見。
ほかの子は子供同士で遊んでいるのに 今日も彼女は単独行動。
パパに話をしたら「3日で友達ができるはずないでしょ」と超楽天的。
彼女、やっぱり少し観点がずれているのでは?
午後 近所にうさぎを見にいったら もう一組お母さんと2人の娘が来ていて
その2人と遊ぶでもなく戯れるでもなくしていたけど 彼女のやりたいこと、
受け入れられにくいかも・・・・・
そう、不器用なんだ、自己表現がへた?というか・・・・そうね、目の付け所が違うんだろうなぁ・・・・・
いい言い方をしよう、平凡ではないんだ!
わたしも不器用で 私を理解してくれる友人になかなかめぐり合えなかったから
こんなちっぽけな村は 彼女のスケールに合わないんだ、そうに違いない!
うーん、では 彼女を生かしていく教育をしていかなくちゃあね。いい友人にめぐり合えるような。彼女を生かしていけれるような場に彼女が立てるように。
やはり 早期教育なのか?!しかし いったい何の?????
・・・・・・・・・・親ばかり一生懸命になってもしかたないのよね。
このごろ 子供の健康と幸せばかり考えている一母親でした。

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2006年8月 4日 (金)

人の使命

今週に入って ずいぶん涼しくなりました、今朝は10度、17時半現在21度でした。
先週は暑かった・・・・・・一週間ベルリンの主人の実家にいあたのだけど
家にしかいられなかったわ・・・・・せっかくOPA OMAがビニ-ルプ-ルを買って
砂場で遊ぼうと意気込んでいたのに残念。

日曜日に自宅に戻ってきて月曜日に一週間ぶり?に実家に電話をかけた。
母がまた入院するらしい、1月に彼女は胆石で入院、手術を受けた、今回は何でも癌らしい。膀胱から子宮頸に浸潤という形で癌があるらしく 子宮だけなら子宮をとってしまえばすむところだったのに 膀胱はとってしまうとその後がたいへんなので 放射線治療でしか治療ができないのだそうで 8月3日、昨日から近県のガンセンタ-に入院することになった、のだそうだ。
インタ-ネットで彼女のタイプの癌を見てみると 子宮頸がんT4、なのではないのかな?
私も専門ではないのでわからないけど T4は治療後5年生存率というのが25%なのだそうだ。
私のショックはずいぶん大きかったけど、癌になってしまって死がある程度予測できてしまっただけで もし仮に母が本当に今後5年しか生きられないとしても その5年の間に
突然死んでしまう家族、親戚、友人は必ずいるはずだ。
実際に、私の伯父は心筋梗塞で突然逝ったし、友達のお父さんは 本当に突然死というやつだった。すごい悲しいけど そういう別れ方よりずっと優しいとおもう。
5年は長い。今年 私と主人は結婚5年目、その間に新しい家族が2人も増えた。
5年先のことはなんともいえない、もっとすばらしい癌の治療法や延命法が発見されているかもしれない。母が生存率の25%の一人かもしれない。
病気とうまく付き合っていけば 思いのほか長く生きられるかもしれない。
こんな風に 希望もいくつかある。
生まれてきてしまった以上、死は例外なく誰にでも訪れる。それによる別れも避けられない。生まれるときはどうしようもできないけど どのように(気持ちを持って)死んでいくか・・・・今の生活じゃあ 満足な死に際迎えられないわ、わたし。
母が居なくなってしまうかもしれない5年間で 私は何ができるか?

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